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■「編物靴下」本格デビュー
江戸時代も末期になると、黒船襲来などの外国の圧力によって幕府も西洋式の軍事制度を取り入れるようになりました。いわゆる、洋式歩兵の出現です。服装も、西洋式の軍服を着て、靴と靴下を履くようになりました。こうして、南蛮文化によってもたらされた編物靴下が幕末の日本に再び登場してくるのです。
■編物靴下の生産は貧乏武士のアルバイト
幕末になると、お米を経済基盤とする武士の生活は厳しさを増し、時代劇でよく見かける「傘貼り」などのアルバイトを行うようになりました。編物靴下も洋式歩兵の軍服としての需要が高まり、こうした編物靴下の生産は、武士の貴重な現金収入となっていました。
■舞踏会には靴下が条件!?
明治初期に、日本は文化面でも欧米に追いつこうと、鹿鳴館で西洋式の舞踏会を開催していました。参加している人々の足もとは、男性も女性も皆靴下と靴でした。
当時、お米1升が3銭なのに対し、靴下は1足なんと10銭!!この頃、靴下がとても高価なものだったということがわかります。舞踏会に参加できる役人や軍人、裕福なご婦人しか手に入らなかったようです。
■明治初期の靴下って、どんなもの??
今の靴下は明治初期の靴下より、格段の進化をとげています。
では、どこが進化したのでしょうか?
まず、当時の靴下は踵がありませんでした。単なる先の閉じた筒を想像してもらえば良いと思います。そのために、靴の中で非常にずれたと思われます。
その上、糸を作る技術がまだまだ発展途中で、ナイロンなどに代表される合成繊維もまだ生まれていなかったため、強度的に弱く、すぐに穴が開きました。
ゴムなどの伸縮性の繊維も使用されていなかったため、フィット感も大変悪かったと思われます。
当時の靴下は、まだまだ改良の余地があるものでした。
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